今週の柔道の練習日に考えさせられることがあった。
高専柔道部がいつもながら練習に来た。部員は当然ながら若い。お願いしますとこられれば相手する次第となる。乱取り稽古も最初のうちはまだスタミナがあるので、相手からそうは投げられない。しかし時間が過ぎてくると相手の技を受けるだけで精一杯。さらに時間が進み、スタミナが切れると技を受けるだけでは済まなくなり、受けきれずに投げられるようになる。
 ところがこちらも意地がある。投げられまいと踏ん張るわけである。そしてもつれるように投げられる。それを見ていたいわき柔道会顧問の先生から一言あった。無理をせず投げられるようにとの指導である。綺麗に投げられ、受身を取り見事と相手を褒めるようにとのことである。その言葉には、年齢からして自分の息子と同じくらいの若者とムキになって柔道するのではなく、若年者に対する熟年者の柔道のあり方があるだろうという教えである。
 最もなことだと思う。だが何に対しても戦ってゆくこの姿勢がなくなったら、自分は終わりだと思う自分自身がいる。
 先生の言葉に思いをよせながらも、挑んでゆくことしかできない自分を改めて認識した次第である。

 前回に引き続き柔道を通して現在感じていることを述べてみます。

毎週練習にやって来られる指導者の一人にI先生がおります。現在は退職されておりますが、中学校の先生をしておられたとのことです。齢七十を過ぎております。しかしながらこの先生の柔道にはいつも驚かされます。まず準備運動ですが、上体を起こしながらの腹筋運動のスピードのあることには驚くばかりです。私はそのスピードについてゆけません。そして打込み練習です。内股・跳腰・払い腰・大内刈等々の多彩な技、そしてそのキレの鋭さにはいつも驚かされます。

 これらからわかることは若い時から鍛錬を積んだ人間にとって、年齢の与える影響は少ないということです。わたしなどはこのI先生に比べると足元にも及びませんが、このI先生から学ぶべきところは学び自分の人生に役立ててゆこうと思っております。

 ちなみに千日の練習を鍛と言い、万日の練習を錬というのだそうです。

  平柔道会に所属して15年ほどのなる。ここでは少年柔道教室の活動をしている。毎年初心者の小学生が入り、小学校卒業とともに柔道教室も卒業してゆく。
 練習は小学生から一般の大人まで一緒に行う。卒業生には福島県大会の優勝者、東北大会の優勝者なども多数輩出している。先の練習には平少年柔道教室を卒業した中学生、高校生が久しぶりにやってきて一緒に汗を流した。みんな強くなった。そして成長した。一人一人の小学生時代を知っているのでその変化には驚く。その成長を見れるのは大変嬉しい。
 社会で生きる喜びがここにもある。


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