月刊誌致知を愛読してかれこれ22,3年になる。最近心に残る言葉があったので書き留めたい。
この言葉は以前にも致知でお目にかかっている。凄い言葉だ。心が揺さぶられる。この言葉のように生きたいものだ。

 実践、実践、また実践
 挑戦、挑戦、また挑戦
 修練、修練、また修練
 やってやれないことはない
 やらずにできるわけがない
 今やらずしていつできる
 やってやってやり通せ

                  平櫛田中(彫刻家)

  イエローハットの鍵山秀三郎さんの掃除に学ぶではありませんが、最近掃除をしていて感じたことがあります。
 前に話しましたように会社から工事現場へ向け出発する時間は早く、早い現場で6時半には出発します。出発に先立ち朝礼をします。7時の朝礼が最後の朝礼となります。その後倉庫内外・社員駐車場・モータープールと掃除するわけです。
 この掃除、以前は十分な時間をかけることなくおこなっていました。しかし最近は朝礼を早く始めるようになって掃除にかける時間が長くなりました。その結果、汚れている箇所が目に見えてきれいになってゆくようになりました。そうなると気分が良くなり、その次どこをきれいにしてやろうかという気持ちになります。毎日掃除することが楽しみになっています。

 ハッと気づく。仕事において十分な時間をかけて対応していたであろうか?いや仕事ばかりでなく、社員に対してもお客様に対しても家族に対しても世の中すべてのものに対しても?である。もしそうであったなら別なものが見えたり、別な展開になっていたかもしれない。
 今からでも遅くはない。何事にも出来る限り十分時間をかけてゆこう。

 今週の柔道の練習日に考えさせられることがあった。
高専柔道部がいつもながら練習に来た。部員は当然ながら若い。お願いしますとこられれば相手する次第となる。乱取り稽古も最初のうちはまだスタミナがあるので、相手からそうは投げられない。しかし時間が過ぎてくると相手の技を受けるだけで精一杯。さらに時間が進み、スタミナが切れると技を受けるだけでは済まなくなり、受けきれずに投げられるようになる。
 ところがこちらも意地がある。投げられまいと踏ん張るわけである。そしてもつれるように投げられる。それを見ていたいわき柔道会顧問の先生から一言あった。無理をせず投げられるようにとの指導である。綺麗に投げられ、受身を取り見事と相手を褒めるようにとのことである。その言葉には、年齢からして自分の息子と同じくらいの若者とムキになって柔道するのではなく、若年者に対する熟年者の柔道のあり方があるだろうという教えである。
 最もなことだと思う。だが何に対しても戦ってゆくこの姿勢がなくなったら、自分は終わりだと思う自分自身がいる。
 先生の言葉に思いをよせながらも、挑んでゆくことしかできない自分を改めて認識した次第である。


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